ユーコさん勝手におしゃべり

8月30日
 「人は死ぬと蝶になるんじゃないかな」 と店主が言ったことがある。
 数年前、千葉の戦争遺跡である赤山地下壕へ行った。館山海軍航空隊の地下壕は、全長1.6kmで、中には発電所も病室もあり、現在は一部が一般公開されている。その壕の出入り口は蝶の産卵場所らしく、大型の蝶がひらりひらりと無数に舞っている。蝶は警戒心もなく人の周りを行き交っていた。
 そして今夏、再びそこを訪れた時、「蝶は、亡くなった誰かに違いない」と店主は確信した。それまでは、死んだら無になる、と思っていたそうだ。
 そんなことを、先日買い入れに行った先で思い出した。十数年前にも一度買い入れに伺ったお宅で、そのときの依頼主の方が亡くなって5年がたち、家を大事に護ってきた奥様も別のところに移られ、家宅を処分されることになったそうである。
 「青木さんに持っていってもらえば本も喜ぶ」 と言っていただいて、こちらもありがたく、大切に大型の造り付けの書棚から本を運んだ。
 玄関を出ると玉砂利が敷いてあり、敷石が並んでいる。門まで敷石づたいに5m程の間を往復している時、ふと足元を見ると、玉砂利の上にそれは大きな青虫が歩いていた。まるで本を運んでは車に積む私たちを観察するように、門から玄関の方へゆっくりと敷石沿いを這っている。青虫を追い越して家に入り、気になってまた何度か見ているうちに、敷石の脇の石塀に登り、塀の中程を、やはり玄関の方へゆっくりと進みだした。玄関脇の木立まで戻り、安心して立派な蝶になるのだろうか。
 作業が一段落して、今回の依頼主である息子さんと少しお話しする。お父様とはまったく違う分野ながら、やはり趣味の世界を持っておられる方だった。ひとつの大好きなものがある人の話は面白い。自分と違う視野でとらえた世界を見せてもらえる。自分の趣味について謙遜して語るその方に、
 「私のモットーは、人の趣味に戸はたてられない、なんです」 と言ったら感激されて、「そのことば、メモってもいいですか」と言われた。初めてのことで驚いた。
 高度成長の頃の日本を支え、定年まで勤めた世代の方である。今は認知された感のあるオタクだけれど、多数の人のやる趣味に迎合せず、ひたすら我が道をゆくのは大変だったのだろう。趣味ある人を肯定する古本屋として、彼の孤独と連帯の気持ちをぐっと受けとめた。
 帰り際、玄関で依頼人とあいさつを交わして外へ出る。大きな青虫にも、笑顔で頭を下げた。

8月25日
 今年は残暑の尾が長い。8月も残り10日となってから、また一段と暑さが増した。
 関東平野の暑さから逃れんと、ハイキングシューズをはいて車に乗り、高原へ行く。その日は軽井沢を経由して草津で一泊した。温泉につかり下界の猛暑の疲れをぬぐい、明日のハイキングに備える。周辺をドライブすると、草津から六合村へ向かう道の沿道には萩の花とススキの若い穂が並び立ち、早秋の気配を感じる。
 二日目、バイキングの朝食で腹ごしらえをして、群馬から長野へ志賀草津道路を上ってゆく。白根山に入ると空気がキリッと引き締まる。これぞ避暑旅、全開の車窓を半開にして、半袖サマーセーターの上に長袖シャツをはおった。志賀高原に入り、目指すは前山湿原経由、四十八池だ。前山サマーリフトを利用すれば、前山山頂から四十八池まで一時間弱の絶景ハイキングだ。途中、志賀山を登って四十八池へ至るコースと平坦な道で池へ行く分岐がある。もちろんはなから平坦ルートを選択する。鳥の声を聞き花を楽しみながら歩いた。季節の分かれ目で、ナナカマドの木には白く群れなす花がついているものも、紅葉の最初の一枝を見せてくれるものもあった。
 赤紫のヤナギランの満開と白くて可憐なウメバチ草にマイヅル草、リンドウの青とそれを映す鏡のような池を堪能した。
 四十八池から大沼と裏志賀山に道が分かれる分岐のところに設置された休憩ベンチで一休みする。何組かがそれぞれ休憩をとっている。ここから前山へ引き返す私と店主の持ち物は水筒だけだが、もっと本格的に歩く人や登山コースの途中立ち寄りの人は、ここで持参のお弁当をひろげている。
 近くで昼食をとっている高齢の四人グループの人の会話が耳に入ってきた。リーダーらしくルートの説明をしている老紳士と、老婦人、それよりいくらか若い男女二人の四人組だ。老婦人の登山靴の調子が悪いらしく、
 「瞬間接着剤でやってみたけどだめねぇ。明日は、私○○はショートカットして△△で待っているわ」 と言う。
 「登山靴買わないといけないですね」 と大きな捕虫網を持ったいくらか若い男性が応えた。
 「そうねぇ。でもね、私もうすぐ77になるのよ。
 こないだも見には行ったんだけど、これから買っても何回履くかしら、と思っちゃって。ハイキングシューズなら何てことないけど、登山靴となると、ねぇ」
 「うーん、あっ、誕生日プレゼントにお子さんに買ってもらえばいいんじゃないですか。」
 「子どもからはもう、時計とブレスレット、誕生日プレゼントにもらったのよ。つけてないんだけどね。 それから敬老の日に孫のお遊戯会に招待されてるの。 その時つけるわ。」
 という内容だった。美しい景色の中でサラリと交わされた会話の一端だったが、まるで一篇の短編小説のようだった。数字に表された年齢から子どもが思い描く親の姿と、家族とは離れた世界を持つ一婦人の像について旅の間中考え続け、今も時々思い起こす。
 ともあれ避暑旅日程は進み、横手山山頂がメインイベントとなる。標高2305mの横手山だが、整備の整った志賀高原地帯はここも、何なくリフトで行くことができる。
 渋峠ではニッコウキスゲが迎えてくれた。リフトの足元に、ニッコウキスゲ、シモツケソウ、ヤナギランたちが咲きたいところで咲きたいように咲いている。
 時々霧がやってくるが、山頂はよく晴れていた。山頂ヒュッテで焼きたてパンとボルシチをいただく。展望デッキから、雲が下を流れてゆく景色を眺める。つい先ほどまでいた前山湿原の渋池が眼下に見える。
 「歩いていたら今、あの辺りかしら」 と深い緑の中を指差す。文明の力で宙に浮いたような不思議な気分でいると、雷音がきこえた。やはり自然の力にはかなわない。急ぎリフトに戻れば、乗り場のおじさまも天を仰いで、「早く乗りな」と促した。ラジオの天気予報によると、この地域の広い天のどこかで確かにその日雷が鳴り雨が降ったが、たまたまどちらにも会わず、高原を抜けた。
 帰り道、カーラジオではどのFM曲もこの数日の異例の猛暑について喋っていた。

8月18日
 陽の傾きが変わった。陽射しを避けて北向きに建つ古本屋のウィンドウにも、容赦なく斜めに切れ込んできた太陽が、一段落した。盛夏には日除けテントから時間ごとに2枚たらしていたUVカットシートは1枚でよくなった。
 昼間はまだ粘りつくように照り付ける太陽だが、沈む時間が早まり、夜は涼風が訪れる。
 飼い亀の産卵も終了して、憂いのなくなった彼女は、大食漢に戻った。
 季節は盛りを過ぎ、晩夏へとなだれ込んでいる。
 今日、仕事中にフト店頭の均一台を見ると、白い文庫本の背に小さなバッタがとまっていた。シュッと細く尖った顔の、夏から秋の庭の住人だ。
 「アラ、今年も帰ってきてくれたのね」
と声をかけて人差し指に乗せ、店の横の庭へ連れていった。
 昨年とは違う個体だとわかってはいるが、あいさつに来てくれたのかしらと、こちらのいいように解釈する。
 しあわせは、こんな細部にころがっている。

8月11日
 立秋を過ぎ、朝晩は涼風が吹くようになった。
 秋のことを考える余裕ができ、萩のトンネルの出来具合を見にゆくことを思い立った。
 今朝買い物に出たついでに、自転車を方向転換して、堀切菖蒲園へ。人気のない園内に返り咲きの菖蒲や藤の花がポツリポツリと咲いている。萩のトンネルは花こそまだないものの、今年もほぼ出来ていた。
 ちょっとくぐってみようと一歩、足を踏み入れて仰天した。トンネル内にワーンと響きわたるせみの声。夕べ羽化して今朝飛べるようになったばかりのせみたちの群れだ。あんな狭い空間にあんなに多数のせみをはじめて見た。ちょうど羽化ラッシュの日だったのか、萩のトンネルの外もぬけがらと成虫でいっぱいだ。
 バタバタと音がする方を見上げると、若いせみがくもの巣から逃れんともがき、何とか抜け出して飛び立った。
 「ギーギー」と大きな鳴き声とともに、オナガがやってきて、青灰色の美しく長い尾を立てて木にとまった。コガネムシを狙っているようだ。
 誰もいない園内。木も草も虫も、皆循環の一部だ。
 自分だけが服を着て靴を履いて、それを眺めているのを不思議に思った。

8月9日
 飼い亀が連日のように1個ずつ産卵している。
 昨年は、5個ずつ2度産卵したが、今年は戦術を変えて一回に1個か2個をもう2週間近く産出している。
 少し産んでは少し食べ、少し遊ぶ。昨年は産卵前は警戒心が強くなったが、今年はなつっこいままで、平常心の産卵だ。
 何が彼女をそうかえたのか。
 ともあれ、亀の産卵は当店夏の風物詩だ。
 道端でスズメが、せみのぬけがらを見つけてついばんでいた。
 夏が遠く去ったとき、スズメの子は、あんなに豊富にあったせみのぬけがらや草の実が、いつの間にか消えてしまったことに気付き、「あの頃はお菓子の家に住んでいたようだな」と、初めての冬を越すのだろうか。
 

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