ユーコさん勝手におしゃべり

1月28日
 2・3日冷え込みのない日が続いた。夜半に雨が降り朝にやむことをくり返す。
 そして昨日の夜明け前、深い眠りから雨の音で目が覚めた。ついでにトイレに立ったがそれほどの寒さを感じなかった。寝室から階段を降りながら、
 「雨が土をうるおしてゆく
  雨というもののそばにしゃがんで
  雨のすることをみていたい」
 と、八木重吉の「雨」が浮かんできた。用を足して、また寝室へ上がった。雨音を聞き、重吉の詩を唱えながら、再び眠りについた。
 朝、地面はしっとり濡れていた。一雨ごとの暖かさというには、まだ気が早いだろうが、夜の雨と昼の日照を受けて、ビオラの花数は格段と増えだした。
 昨日は横浜美術館へホイッスラー展を観に出かけた。常設展も充実していて、見ごたえがあった。好天の散歩日和、横浜美術館、みなと博物館、帆船日本丸とそれぞれ堪能して日も暮れ、老親の住む家へ寄って夕食を共にした。
 実家で冷蔵庫を開けると、案の定、それはまだあった。年始に行った時飲んで、残りを持って帰ろうと思って忘れたコカコーラ2リットルペットボトルである。老親はふだんコーラは飲まないので、手もつけていない。気が抜けているとわかっているが、とりあえず、持って帰ってきた。
 そして今朝、ふと思いついてホットコーラにしてみた。コーヒーカップに入れ電子レンジを60度にセットした。あたたかいコーラが香りたつ。シナモンが合いそうだなと思って、サッサッとシナモンパウダーをかけると、すっかり気が抜けていると思っていたコーラがジョワジョワジョワと喋りだした。なぜか炭酸の泡がいっぱいできた。そして湯気はシナモンの香りで、
 「これは風邪の時に効きそうな飲み物だな」 と思いながら一気においしく飲んでしまった。
 後でインターネットで調べると、風邪の時にホットコーラを飲む習慣の方も世界各地にいるようで、直感的中、と一人納得したのだった。
 炭酸が抜けちゃったとき以外やらないけど、ね。次の機会があったら、レモンも入れてみよう。

1月22日
 上野の国立博物館へ「みちのくの仏像」展を見に出かけた。
 雷のような音をたてて襲ってきた津波や爆発する火山を見つめ、平安時代から変わらぬ姿で人々を守り、人々に守られてきた仏像たちだ。一本の木から彫り出された物から、長い年月の人々の祈りがわいてくる。
 小規模ながら充実した展覧会だった。
 一月は寄席や展覧会で、何度か店主と一緒に上野へ出かけた。そのたび、アメ横を通って吉池の上階にある食堂で昼食をとった。二度目に行った時、店主が、年配のフロア係の方に、
 「ここは、何食べてもおいしいですね」 と言うと、店員さんは笑顔で、
 「それは、お客様が健康だからですよ」 と答えた。
 店主はその応対にいたく感心していた。
 「普通、『ありがとうございます』とか通り一遍にすますだろ。『おいしかった』と言われて、『お客様が健康だからですよ』とはすっと出てくるもんじゃないよ」
 と今回もその時の話をしていた。すると、ちょうどそのフロア係の方が近くを通ったので、
 「おいしかったです」と声をかけて、「もうここは長いんですか」と聞くと、
 「はい。40年になります。もう退職したんですが、手伝っているんですよ」 とおっしゃった。
 納得。人が仕事を大事にし、仕事が人を磨く、ということがあるのだ。
 経年する、時を重ねる、ということの良い面を、仏像の過ごした長い時代から、そして一人の人から、学んだ。

1月20日
 休日の予定を立てるためにカレンダーを見ると、「大寒」だった。寒いな、とは思っていたが、字づらを見るだけでも寒く、ハイキングもサイクリングも挫折して、近場のそばと温泉、と店主と意見が一致した。
 江戸川を北上して、埼玉の鷲宮にあるうどんとそばの店に行く。冷たいそばとあったかいうどんをいただき、店を出る。
 幸手・権現堂の土手に水仙まつりの旗があったが、花はまだ咲いておらず、旗は寒風にはためくばかりだった。
 埼玉・茨城・千葉の県境がキュキュっと詰まった場所柄で、車で県境を出たり入ったりして散策と買物をする。店主が大きなホームセンターで工具を見ている間、私は駐車場で本を読む。
 夕方前に杉戸温泉に到着、かけ流しの温泉にゆっくり浸かる。すっかりあたたまって、休憩所で横になって本を読む。今日は伊集院静の「ノボさん(小説正岡子規と夏目漱石)」と日野原重明「死をどう生きたか」を持ってきた。子規と漱石の関係は、以前から関心のあるところで、一気に読み終えるともったいないので、他の数冊と平行して、少しずつ読んでいる。
 中勘助・寺田寅彦が目に留まってから、漱石、子規へ、ひもをたぐるように興味は時を遡ってきた。もうすぐ「ノボさん」は終わってしまう。次は何を読もうかと楽しみにしている。
 休憩室のとなりの部屋にはテレビがあり、ちょうどサッカーアジアカップの日本vsヨルダン戦をやっていた。扉ごしに、時おり、
 「お、おぉ……。」 とか
 「オー!!!」 と弾んだ声が聞こえる。いい試合運びになっているんだなとわかる。キックオフから見ている店主のとなりの椅子が空いていたので、途中から観戦。ゆったりと椅子の並べられた空間は、明るいスポーツバーみたいな雰囲気になっている。試合が終わり満足して、もう一風呂浴びて、帰宅した。
 休みの一日、車に乗り、おいしいものを手もなくいただき、設備の整った施設を利用しつつ、頭の中は明治の時代を展開していた。
 家に着いてパソコンを開くと、ニュースサイトがイスラム国での悲惨な状況を知らせていた。
 中勘助の「沼のほとり」にあった記述が頭に浮かんだ。
 「人間はいろいろなものを征服して結局自分がさみしい、つまらないものにならうとしている。」
 物質的にはこんなに進歩したように見えて、何もかわっていない人間のおろかさに、もっと学びたい気持ちと、無力感が、ふたつながら押し寄せてきた。

1月17日
 店主は店番机のデスクマットの下に大判の紙を敷いている。12本の縦罫で仕切られ、31本の横罫がひいてある。手製の一年カレンダーだ。それを毎日取り出しては、出かけたところや食べたもの、予定などを書き込んでいる。デスクマットの下には数年分が重なっていて、いつどこへ行ったか、季節の動きが一目瞭然になっている。
 今日も閉店前に何か書いていた。大きな白い紙の大半はまだ白い。それを見て、
 「一年、長いね」 と最初の感想が口に出た。
 「そうだね」 と店主が言った。しかし、よく見ると、白い紙の左端の列のちょうど半分はびっしりと字で埋まっている。
 「ああ、でも一年って、短いね。 もう一列の半分が過ぎたんだ。」 と、右手の親指と中指を伸ばして書かれた部分の長さにして、その指を下の空白部分、となりの月の前半、後半へ、ポンポンと置いていった。
 「すぐ、終わっちゃうね」 と言うと、
 「そうだね」 と店主が言って、デスクマットの下にカレンダーをしまった。
 閉店作業をしに外へ出ると、冷たい北風が吹いていた。
 この寒風の中でも梅が咲き、水仙が開き、何とか春に季節を持ち込まんと花々がうごめき始めた。ちょっとぼうっとしているうちに、一気呵成に啓蟄になるのだろう。
 今年も一年、見落としのないように、土や花木や鳥や空の色を見なければならないなと、肌を刺す風に身が引き締まる思いがした。

1月10日
 実は新年早々風邪をひき、三が日の休みをフイにしてしまった。
 展覧会にも行かず、寄席も映画も蚊帳の外で、目を閉じて眠るか本を読むか、二者択一の休みを過ごした。
 たまたま、「今度読もう」と枕元に積んだ本が数冊あったので、正月の友となった。仕事が始まる頃には風邪も癒えて、先日上野の寄席の初席にも行くことができた。
 雨降って地固まる。今年は自己管理に気をつけてゆきなさいよという教訓だったのかなと考えることにして、また店番の机に戻った。
 年明けから数日が過ぎ、プランターのビオラの花色は目に見えて増えた。沈丁花のつぼみの赤も目に付くようになり、寒さの中に春の芽吹きを感じます。

 本年も、一冊ずつ丁寧に、お客様のお手元に本を届けてまいります。
 ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

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