ユーコさん勝手におしゃべり

5月28日
 今日、店横の花壇の植え替えをした。
 先週はお休みをもらって、店主と能登半島巡りの旅に出た。
 今年の冬は寒かった。東京に積雪はなかったものの、春の到来もゆっくりで、長く春を保ち、例年より半月遅れの植え替えである。終盤を迎えた春の花壇を整理して、旅から帰った時に届くように、夏の花苗の注文をして出かけた。
 4日間の日程だが、能登は広い。初日、朝3時に車に乗って出発する。途中高速のサービスエリアで仮眠をとり、昼には飛騨の白川郷に到着した。合掌造りの集落は世界遺産だけあって美しく、バスツアーの外国人観光客がそぞろ歩いている。
 にぎわう住居群をひととおり歩いて、一番奥の八幡宮まで行くと、もう観光客はいない。静かな境内でお参りしていると、社殿の脇の木に、黒と金の色がひらひらした。金色に近い黄緑の腹と黒い羽をひろげ、たわむれ遊ぶ二羽の鳥だった。
 後方の鳥居のあたりにいる店主に教えたかったが、声を出すとどこかへ行ってしまいそうで、黙って見つめていた。近づいてきた店主に小声で、
 「鳥、きれいな鳥。」
 と言って指さした時にはもう飛び去っていた。
 後で名前を調べようと心に留めて、白川郷をあとにした。白川スーパー林道はまだ除雪中で閉鎖なので、そのまま高速に乗って、その日の宿の富山県氷見に向かう。途中、道の駅で観光案内と、日本野鳥の会発行の「Toriino」をもらう。車の中で、「Toriino」をパラパラ見ていると、あの鳥がいた。「アオジ」と題名がついている。再会の上に名前もわかり、最高の偶然だった。
 翌朝、石川県に入り、能登島を経由して、海沿いの道をゆく。古い町並みの商店街を通ると、一軒の鍛冶屋さんがあった。店の前に車を停めて中に入る。
 漁業と農業の町で、昼間の人通りはほとんどない。
 店主が、「包丁が一本欲しいよな。」 と言う。
 丁寧に仕事された道具を見ていると、見たことのない形状の包丁があった。能登マキリと書いてある。若奥さんが出てきて、
 「ここらへんの漁師が使うものです。腰に挿しておいて、ロープを切るのにも調理にも、何にでも使います。」 と言う。
 「使い慣れると便利ですよ。私も、魚の頭落とすのも捌くのも、毎日これ使ってます。切れ味がいいので、初めての方にはこっちを勧めます。じいちゃんの作ったのは、切れすぎて、慣れないと指切っちゃうから。」 と並んだ中の一本を差し出してくれたが、店主の目は、見るからに切れそうな別の一本に釘付けである。それを見て若奥さんが
 「ロープが巻きついちゃったら終わりなので、漁師は命かかってるから、とにかく丈夫でよく切れるんです。柄も地元の木で一本ずつ作ってます。ただ、うちのじいちゃんが山で一人で作るんで、3ヶ月から半年待ちなんですよ。」
 と言う。普段旅先でみやげを買うことはめったにないのだが、店主はこの包丁にほれ込んだ。5代目になる予定というかわいい赤ちゃんを抱いて接客する奥さんの、飾らない笑顔もいい。
 「ぜひ欲しいので、待ちます。」 と言うと、
 「じゃあ、ここに住所と電話番号を書いてください。出来上がったら電話で連絡します。代引きで送りますから。」 と、一枚、紙を出した。店主が住所を書くと、
 「ええっ。東京からぁ? 車で? 遠かったでしょう。せいぜい金沢くらいかと思った。」
 と驚いていた。店の前で記念に写真を撮って、再び海沿いをゆく。
 出来上がりは夏が終わったころだろうか。旅の余韻の楽しみができた。
 2泊目は輪島に宿をとった。見所満載、知恵熱が出そうなほどの絶景が続く海岸線を、あちらに寄りこちらに寄りして走る。翌朝、朝食会場で、たまたま隣りにいた人に店主が声をかけると、野鳥を追って旅をしていて、これから舳倉島へ渡るという人だった。二人の会話に相づちを打ちつつ、頭の中は前々日の鳥のことでいっぱいになったが、どうしても名前が出てこず、話に入れなかった。生態も聞けただろうに残念だ。そのことがずっと心にかかっていたが、しばらくしてから、何のこともない拍子にポッと「アオジ」という単語が浮かんだ。頭の中の引き出しは、いったいどういう仕組みになっているのやら。
 輪島の朝市で農家のおじちゃんからきゅうりを買って、昨日通った海岸線の反対の外房側をぐるりと回る。
 普段、仕事で全国に本を送っている。どこの土地にも本の必要な公共施設や学校があり、本の好きな人がいる。能登も例外ではなく、何度も住所を書き発送作業をした。道路標識に出てくる地名に、「あ、知ってる。○○だ。」と思う。書いたことのある市や町の名前だからだが、ローマ字表記を見て赤面する。自分の思い込みと読み方が違うのだ。
 海の幸があり、水の湧く山と肥えた土地のある所には古代から人が住んできた。太平洋に出っ張った房総半島を旅した時も、地名の読み方の難しさに古代人の言語を感じた。日本海に突き出た能登半島の地名にも、同じ様に古代語の息吹を感じる。
 3泊目はまた氷見に戻って宿に入る。地図をひろげて夕刻の街を歩き、たまたま見つけた氷見ラーメンの店で、地元の醤油と関東の醤油の舐め比べをさせてもらった。
 最終の4日目、前日の天気予報は一日雨だったが、薄日もさしているので、予定通り黒部峡谷へ向かった。宇奈月温泉から、終点の欅平まで一時間半のトロッコ電車の旅である。13両編成のトロッコ電車は定員制だが、天気予報が雨だったせいか乗客は少なく、指定された7両目は、店主と私の二人だけの貸切だった。予報はうれしくはずれた。
 今冬はことのほか雪が多く、落石通行止めで、欅平からのハイキングはかなわなかった。それでも窓のないトロッコ電車での往復は、厳しく美しい峡谷の景色を堪能して大満足だった。
 宇奈月駅に戻ると雨が降り出し、みるみる本降りになった。トロッコ旅で冷え切った体を温泉であたためて、仮眠をとり、帰途に着いた。
 魚津から高速道路にのって、日本海沿いに新潟県に入り、長野を通って、東京に帰りついた時には、日付が変わっていた。
 旅から帰って、休みの間にたまった注文をこなす。行ったことのない土地の人へ本を送る時、旅で見た土地の名前になつかしさを感じて宛名を書く時、どちらも今まで以上にありがたい。見たことのないものを見、食べたことのないものを食べ、感じたことのない空気の中に暮らす人と、古い本を通じて、時を越えて、つながっている、と思う。
 店の横の小庭で、てんとう虫を一匹みつけた。大自然にふれた後の、プランターの小自然、どちらもうれしい命のいとなみである。

5月20日
 戦前から終戦後数年の、教科書の仕事をする。
 中に何組かローマ字の本があった。今は深く考えることもなく使っているローマ字表記だが、不思議なことがたくさんあった。
 そもそも何故、「ローマ字」なのか。日本語をアルファベット表記にしようとした時、「Roma」という単語と、漢字の「字」をつけて、新語を作った。romajiはそのまま、「romaji 不可算名詞」として英語の辞書にも載っている。
 国家を挙げて乗り出す前からヘボン式の表記があったが、訓令式の50音表をつくった。普及に努めたはずなのに、両者はどちらも淘汰されずに残り、戦後は、同じ出版社から同時に二種類の文部省検定済教科書が出ている。
 内容や挿絵は同じで、著作者は「Monbusyo]」と「Mombusho」である。書いた本人が、「私はだあれ」になっている。
 不思議なことはもっとあり、登場人物のMr.SmithはSumisu-sanと表記される。外国人にもわかり易いはずのローマ字で、当の外国人が、「私はだあれ」になるだろう。
 ともあれ、戦後は専用の教科書や副読本まで作ったローマ字・アルファベット表記も、グローバル化した時代の流れで、当時ほど長い授業時間を費やさなくても、自然に普及した。
 厳密な訓令式でもヘボン式でもなく、それぞれいいとこどりの程よいところに落ち着いているようだ。Mr.Smithも、今なら安心して署名できるというものだ。

5月19日
 季節がどんどん進んでゆく。
 先週、盛りを過ぎたジャスミンの蔓を刈りとった。ジャスミンが終われば薔薇がはじまる。こちらは自宅ではなく外へ見に出かける。
 足立区の青和バラ公園は小さいながらもよく手入れがされていて、香りが楽しめる。バラ園は姿だけでなく香りが魅力なので、鼻を近づけられるところに花があるのが良い。額に入った絵のようにフェンス越しに眺めるだけでは満足いかない。
 今朝は、江戸川をさかのぼって、千葉県野田の清水公園花ファンタジアへ出かけた。
 平日9時の開園時間早々の園内はまだすいていて、ローズガーデンに入る手前から香りが風に乗ってくる。
 「いい におい」 と言うと、写真を撮っていた公園の職員さんが、
 「朝が一番香るんですよ」 と笑顔を向けた。
 1時間半ほどでしゃくなげの群落や蓮池を周って、帰り際売店を覗くと、ハニーサックルの鉢があった。白と黄色の細長い花に鼻を近づけると、確かにあの香りだ。
 数年前、都電沿線の街歩きをした時に、ある庭園で、えもいわれぬ良い香りがした。きょろきょろと見回すと、小さな花の咲くフェンスに「ハニーサックル」と名札があった。メモ紙に「ハニーサックル」と書いて持ち帰り、いつか買おうを思っていたが、売っているのを見かけたことがなかった。
 店主と二人乗りのオートバイで行ったので、何も買うつもりはなかったけれど、これも出会いだ。220円の苗を2鉢選んで、大き目の袋に入れてもらい、店主と私の間に置いて大事に運んできた。
 楽しみは波状的にやってくる。明日は、プランターをやりくりして、フェンスの下にハニーサックルを埋め込もう。

5月11日
 秩父の空は格別だ。
 森林の一本道をバイクで登ってゆく。天を仰ぐと、木々の間からまっすぐ伸びる空が高くて青い。純白の雲が見える。昨日降った雨で湿った樹木から甘い香りがする。秩父湖を渡って目的地、三峯神社に着いた。
 広い境内を散策する。森の中に縁結びの木があり、一人ずつ順番に並んで祈っていた。
 展望台からの景色を堪能して、本殿に戻ると、二人連れの女性の会話が聞こえた。
 「これで、30代、6年間の厄がおわる。
 これから4年間の快進撃がはじまる!」
 「はじまるかなあ?」
 気の置けない友達同士なのだろう。
 背後に居る二人に、本殿の極彩色で精巧な彫刻に見ほれている振りをして、背中から無言のエールを送った。

5月7日
 5月になった。
 農村が美しい季節だ。田んぼに水が張られ、麦が育っている。田んぼの周りで鳥が楽しそうにしている。
 バイクに乗って北上する。東京を抜け、埼玉、茨城、栃木に入り、日光までの旅だ。ゴールデンウィークで混雑していた道路も利根川を越えると急にスムーズになった。
 2泊3日分最小限の荷物をウエストバックとバイクのタンクバックに詰めた。店主と二人乗りのバイクで9時に東京葛飾を出て、11時に鹿沼の粟野そばを食べ、そこからは川沿いの道で山を越えてゆく。
 1時に日光の葛飾区日光林間学園に到着すると、満開のしだれ桜が迎えてくれた。バイクの機動力と林道に感謝。 日光の市街地は、改修の終った陽明門を観るための車列と人波で大混雑だった。
 初日は宿のそばの裏見の滝を歩き、夕方人が少なくなった頃、東照宮あたりを散策した。ぐっすり眠って、翌日の霧降高原ハイキングに備える。
 翌朝、ピカピカの好天の中、バイクで霧降高原キスゲ平へ向かう。沿道はつつじのつぼみと新緑の中に時々桜が咲いている。
 10時に霧降高原の駐車場につき、準備体操をして、まずは天空回廊1445段の階段を登る。途中美しかった新緑も高度が上がるにつれてカラマツの新芽があるばかりになり、裸木で灰色の山になる。かたくりの花が裸の地面に赤紫の色彩をそえている。
 階段を登りきると1582mの展望台があり、そこから登山道になる。第一休憩ポイントの小丸山は1601m。日光の山々や街が一望できる。見上げると、空に大きな虹が一直線に伸びていた。半円でなく平らな帯状の虹をカメラにおさめる。
 11時に小丸山山頂を出て、丸山に向かう。登山道の両側に笹が茂っている。天空回廊にいるうちは、「ホラ、雪だ、雪だよ」 とはしゃいで見ていた沿道の雪が珍しいものではなくなる。登り道で体がほてり、上着を脱ぐ。
 「眼下に残雪をいただいて、熱い身体に冷風がここちよい。」 と言ったら、
 「止まってメモれば?」 と店主が言う。「失ったことばは戻ってこないぞ。その時きりだから」 と言うので、その場所でメモ帳を出し、休憩した。
 更に登って、11時半に丸山山頂1689mに到着。15分程休んで、八平が原に向けて下ってゆく。ここから先はまだ残雪がたっぷりあり、堅い雪の上を足を踏みしめながらゆくか、道の脇にわずかにできたぬかるみを、滑らぬように慎重に場所を選びながら進んでゆく。笹の間の、ここが道だろうと思われるところを行くが、時々不安になる。そんな時、うしろから他のハイカーの声がしたり、誘導ロープをかけてあるところがあると、たいそううれしい。
 降りるにつれて、雪がなくなり、かたくりの控えめな花弁があらわれる。かたくりの花がどんどん増えて、ゴールは間近く、車の音が聞こえてくる。
 1時に元の駐車場に到着した。レストハウスで靴の泥を落として、バイクで街へ戻り、買い物をする。林間学園は素泊まりできるので、スーパーでお弁当を買ってお部屋で夕食をとった。
 翌日はゆっくり起きて、元の道をたどり、再び粟野のそばを食べて明るいうちに帰宅した。
 留守の間に満開になった小庭のジャスミンが芳香を放って迎えてくれた。

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