ユーコさん勝手におしゃべり

6月28日
 6月25日、翌日から来春まで改装工事で休園となる堀切菖蒲園へ、散策に行った。季節は移ろい、花束のように咲いていた菖蒲も、ポツポツと名残りの花をつけるばかりになっていた。淋しくなった園内だが、一緒に行った店主は、
 「花と花の境もないほど一面ごっそり咲くより、これくらいの方が、江戸の絵の菖蒲園に近くて、菖蒲っぽい感じがする。」 と言っていた。
 店に帰って、仕事をしていたら、古い相撲雑誌の中に、菖蒲園の記事をみつけた。相撲通信社『国技』の大正6年12月号で、題名は、「思ひ出おほき国技館」である。

 春の朝、秋の夕、大川の流れ彩霞淡靄を催して虹々と渡せる両国橋の東に、雲を圧して立てる大鉄傘館は実に本所の名物であった、否な、日本の誇であった。(中略)
 春は堀切の株を奪って菖蒲に花を咲かし、秋は団子坂を過去に葬って菊人形の粋を凝らし、(中略) この館ばかりは、四時常に活気を以って満たされた。

 と始まる。そして次ページに火災写真が載り、11月29日真夜半、菊人形最終日に国技館が全焼した旨が伝えられる。
 文京区・団子坂の菊人形といえば、漱石の『三四郎』に、主人公と美禰子の印象的な心理戦シーンがある。行ったことはないけれど、なつかしいと感じる光景だ。
 堀切も今は菖蒲園はひとつしかないが、往時はいくつもあり、花農家として出荷もしていたのだろう。戦時中の食糧難で、おかみから、 「花など作っている場合ではない。米を作れ」 と言われ、一時菖蒲田を稲田にしたと、何かの記事で読んだことがある。
 戦後田んぼは宅地になり、今は葛飾区立の一園のみになった。
 現在の菖蒲園は、園主が、これで菖蒲を絶やしてはいけないと、蔵に各品種の苗を隠しておいたものを、戦後復活させたと記憶している。広報誌でそれを知った時、「ノアの箱舟みたいだ」と思った。
 相撲とは直接縁のない話題だが、歴史の連綿は、こうして、古い雑誌や本の記述にちょこちょこと顔を出す。書き留めておかないと忘れ去られてしまう。そして忘れ去られた膨大な記録や記憶の上に、現在の自分やその周辺があるんだな、と雑誌を閉じた。
 菖蒲園閉園の二日前に、堀切菖蒲園駅舎のつばめが巣立った。
 今年、五羽の雛は皆体格もよく、一時期に飛び立った。駅を通るたびにカラの巣を見上げていると、先日、スイっとつばめが目の前を飛んだ。二羽が高速で飛びちがえてビルの上に消えた。
 記憶を残して、季節はすすむ。

6月26日
 朝、ゴミ出しをして、店の周りを掃いていると、上の方から
 「…のおばちゃん」 と幼い声がした。見上げてみても誰も居ない。隣家のマンションのベランダが見えるだけ。
 「…のおばちゃん」 
 道に落ちた葉っぱや花びらを掃きながらしばらく考えていると、「しっぽのおばちゃんか」とひらめいた。マンションの三階の窓は網戸になっている。こちらからは見えないけれど、上からは見えるんだな。
 「しっぽ」は飼い亀の本名で、私や店主は普段「カメ」と呼んでいるが、名前を知っている近所の子ども達は律儀に「しっぽちゃん」と呼んでくれる。
 隣家の男の子は虫や草花が好きで、だんご虫やかたつむり、てんとう虫を見つけては家に持ち帰り、飼っているらしい。ママの自転車の後ろに乗って幼稚園に通う前に、うちの小庭に寄ってカメにあいさつして行く。
 昨日は道端のクローバーを抜いて、大事に園服のポケットに入れようとして、ママに、
 「あぁ、汚いから直接入れちゃダメ」
 と言われて手を止めた。たまたま庭に出ていたので、
 「ちょっと待っててね」
 と言って家に入り、ビニールを1枚持ってきて、小さな手に握られたクローバーを入れた。黙って袋を受け取りポケットに入れ、ママに促されて、「ありがと」 と言う。
 幼稚園や家で飼っている虫の為に葉っぱが必要なのかな。小庭で毎日咲いているノーゼンカズラの白い花を、
 「朝はいつも掃除されてるから、夕方、園の帰りに落ちてると、必ず拾って持って帰るんですよ。」
 とママが言う。
 とてもシャイで、あいさつするのも、ママの後ろから小声でやっと言えるようになった。だから、あいさつ以外にお話したことはない。でもまっすぐ見つめる大きな瞳で、気持ちはちゃんと伝わってくる。
 「しっぽのおばちゃん」の声は、姿は見えないけれど、きっと彼に違いない。
 なんだかきつねになったような気分がして、ふさふさのしっぽがお尻に生えていないか、そっと触って確かめた。

6月20日
 オートバイに乗って富士山に会いに行く。
 高速道路で東京を横断し神奈川へ。相模湖で高速を降り、道志みちを通って山梨へ入る。翌日から本格的な梅雨空という予報を受けて、途中の道の駅はバイクがいっぱい停まっている。
 いくら見ても見飽きない青い空に、つばめが忙しく飛んでいる。店主のバイクの後ろに乗り、初夏の風に吹かれて山道をゆく。
 トンネルを抜けて、山中湖村に入ると空気ががぜん涼しくなる。まだらに雪の残る富士山がくっきりと美しい。白鳥も湖上でえさを探したり、湖畔で羽を広げお腹を地面につけたり、今日の天気を思い思いの場所とスタイルで楽しんでいる。
 目当てのうどん屋さんに開店と同時に入って腹ごしらえをして、景色を見ながら、バイクを進める。沿道に茶畑が増えて、静岡に入る。
 足柄峠をぬける途中、足柄城址公園に寄る。静岡と神奈川の県境にある山城跡だ。真正面に、てっぺんからすそ野の街まで全容丸見えの富士山がある。こちら側から見る富士山の方が、山梨側からより残雪が少ない。どちらも甲乙つけがたいよい眺めである。となりのベンチから、
 「私、ここが一番好きで、時々見に来るのよ」 と友達を案内するご婦人の声が聞こえた。
 峠道を神奈川へ走り、大雄山最乗寺へ行く。咲き始めたあじさいの参道の先に、森林に囲まれた古刹がある。
 足しげくうちに来られるお客様の中で、たぶん最高齢90歳の方が、本を買う時、
 「買い物の時、ついお釣りをもらっちゃうんで、小銭が重くて」 と言うので、店主が、
 「うちで使ってください」 と丸々とした小銭入れから、1円5円10円50円100円をひろげて出して、1000円のお会計をした。1円や5円は店舗では使わないので、あとで両替をして店主や私の財布に入った。
 その時の5円玉を財布から出して、
 「○○さんの分です。よろしくお願いします。」
 とご本尊に伝えてから、賽銭箱に入れた。
 広い境内を散策していると、若いお坊さんが二人ほら貝を抱えて通る。しばらくすると森の中から、「ぶおぉぉぉ」と練習する音が聞こえた。
 小さいお堂の前へ行くと、そこから出て来た人が、
 「中に打ち出の小槌がありますよ。僕も振ってきました。」 と満面の笑顔で言う。
 靴を脱いでお堂に入り、一礼して教えてもらった場所を見ると、あった。特に思いつく願望もなかったので、「いつもありがとうございます。よろしくお願いします」 と漠としたことをつぶやきながら一振りして、元のお座部の上に戻した。
 お堂を出て、次のお堂に着く前に、銀色の丸いものが目に入り、拾った。
 「100円玉だ。打ち出の小槌のご利益、もう使っちゃった。」
 と、参道を先にゆく店主に言った。境内で拾ったものだから、持って帰っちゃうわけにはいかない気がして、本堂のお賽銭箱へ投入した。
 「ありがとうございました。楽しかったです。」
 打ち出の小槌を振り、ご利益を受け、使い果たし、すっきりして帰途に着いた。
 終始好天のよい一日だった。

6月18日
 梅雨の合間の貴重な好天、晴れていても、朝はまだ涼しい。近郊へ花や虫に会いに行く。
 先日、「千葉県いすみ環境と文化のさと」へ出かけた。案内図をもらいにネイチャーセンターへ行くと、水槽にたくさんのミヤコタナゴが迎えてくれる。
 明治期に小石川植物園で発見された小型の魚で、昭和の初めまでは皇居のお堀や上野不忍池にもいたそうな。せっかく「ミヤコ」タナゴと名付けられたのに、今は都内にはおらず、栃木の一部と千葉のいすみ市に細々と繁殖しているという。ヒレがおしゃれなオレンジ色で熱帯魚のようなオスと、白く伸びた産卵管がひらりと美しいメスで、「メスは卵を貝の中に産みつける」のだとネイチャーセンターの職員さんが教えてくれました。
 「貝が口を開けたスキにサッとこの産卵管で貝の中に卵を入れ、貝の中で孵化した魚は、貝が口を開けたスキにスルスルっと外に出てくるのですよ。」
 貝とタナゴとよしのぼりも交えた共生関係の話を聞き、アサザの黄色い花の見られるところを教わって、ネイチャーセンターから外へ散策に出かけた。
 山のふち沿いの雑木林から万木堰というため池に出る。池は徐々に沼になり、突然、
 「ここは本当に千葉?!」
 という景色があらわれる。熱帯雨林のマングローブ林の中に迷い込んだようなのだ。そして、林の脇の草地に、黒地に楕円の白抜き柄のある見たことのない蝶がとまっていた。ネイチャーセンターに戻って、さっそく先ほどの職員さんに名前を聞いた。
 「ああ、胴が黄色かったですか」
 「はい」
 「カノコ蛾ですね。栗の花が咲く頃、よく見られるんですよ。」
 「鹿の子! ぴったりの名前ですね。 栗の花ですか。そうですね、栗が花盛りだなぁって来る途中思ってました。」
 薄い黒地に楕円の模様は鹿の子どもにそっくりで、名付けの妙にすっかりうれしくなった。
 マングローブ林のように見えたのは、丸葉柳という木で、葉が丸いので柳っぽくないが、柳なんだそうだ。今は田植えシーズンで沼化しているが、もっと水量が増えても、水の中ですっくと立っているという。
 ネイチャーセンターの入口には、「ここの農園でとれたものです。一家族一袋ずつどうぞ。」と書かれた台に玉ねぎが乗っていた。大小さまざまな玉ねぎの入った袋を一ついただいて、万木の丘をのぼり、万木城跡公園へ向かう。途中車は、何台もトラクターとすれ違い、ここが生きている農村であることを実感する。山城跡の展望台から殿様気分で田畑の続く下界を見下ろして、駐車場に戻ると、カノコ蛾が数羽飛んでいた。スタイルの良い胴に透かしレースのような羽で舞う姿は、まるで妖精だった。展示で名前を知った蝶も何種か見られたし、一瞬で飛び去ってしまうものも、名前がわかれば記憶に残る。名前を教えてくれたネイチャーセンターの職員さんにあらためて感謝した。
 昨日は、簡単なバーベキューセットを車に積んで、荒川をさかのぼり、埼玉の彩湖へ行った。第一目的はバーベキューだが、私の秘かな目的は、てんとう虫探しだ。てんとう虫のエサはアブラムシで、てんとう虫のいる庭にはアブラムシがいなくなるというのを知ってから、うちの小庭にぜひてんとう虫を誘致したいと画策している。
 朝早いうちに出かけて、彩湖グリーンパークのバーベキュー場の周りを探検する。草むらには見つからなかったてんとう虫が、見上げるとくぬぎの木の葉の裏にいた。一匹見つけると、あとは次々見つかる。くぬぎの木はてんとう虫の宝庫だった。不織布の袋に、葉っぱごと採ったてんとう虫を入れて、バーベキュー場へ戻る。バーベキュー用の野菜の中には先日いすみのネイチャーセンターでいただいた玉ねぎも入っている。みずみずしくて、とてもおいしかった。肉、野菜、魚介とたんと食べて、周りを見渡す。目は自然とくぬぎの木に行く。
 すると一本の木の上から下へ、大型の蝶が、歩いて降りている。蝶が飛ばずに木の上を歩いているのも珍しかったし、黒地に青い淵模様が美しかったので、カメラを手にそっと近づく。内側は黒地に青レースだが、羽を閉じると外側は茶色い葉っぱ柄で木肌と同化している。シャッターを押そうとした瞬間、飛び立ってしまったが、蝶のいた場所は、甘い腐臭のする蜜だまりだった。まるで子ども向け科学絵本の挿絵のように、数種類の昆虫や甲虫が集まっていた。彼らは蝶のように飛び立つこともなく、もくもくと樹液を吸っている。いっしょに行った家人も呼んで、じっくり観察した。日が高くなり、周囲がバーベキュー客でにぎやかになってくる頃には、一袋のてんとう虫と一緒に帰宅の途に就いた。
 帰宅後調べると、飛び立った蝶はルリタテハだった。名前もわかり、またどこかで再会するのがたのしみだ。

6月10日
 今年の菖蒲はみごとである。
 今週が見ごろの堀切菖蒲園を幾度となく見に行き、そのたび感心する。シュッと縦長に伸びて咲く菖蒲のイメージを裏切るように、園内中、まるで花束のようにびっしりと咲いている。
 敷地が小さくてあっという間に見渡せる園内が、今年は改装工事中でさらに狭くなっているのだが、花の密度に圧倒されて不思議と例年より狭さを感じない。
 昨年からの工事閉園の間中、怠ることなく続けてきた手入れのたまものだろう。菖蒲まつりの期間に菖蒲田部分だけ開場して、またすぐ工事閉園となる。今年は秋になっても萩のトンネルがくぐれないのが残念だが、来春は全面開園との事で、それを楽しみに待つことにする。
 季節はまたたく間にうつろってゆく。スーパーに夏の野菜や果物が並ぶようになった。
昼間は夏の日差しだが、まだ朝晩は涼しく過ごしやすい。照り返しと湿度で一日中が蒸し風呂の真夏になる前に、今見るものを見に、散策に出かけよう。

6月3日
 堀切菖蒲園駅の改札を出た先で、ツバメが営巣している。
 去年、駅舎にツバメは来ず、駅近くのマンションの通用口の上で子育てをした。どういう風の吹き回しで駅に戻ってきたのか、天井から下がった電灯の上に、新築の巣がある。
 体格がよく、色味のはっきりしたハンサムなツバメだ。
 郵便局へ通う道筋にあるので、毎日楽しみに見上げている。
 堀切菖蒲園の上りホームから細い道一本はさんだところに青木書店はある。店舗の上の3階の窓を開けると、上りホームと同じ高さで、目の前に6600Vと書かれた電柱の変圧器があり、その後ろにホームの白い壁がある。変圧器の下には、スズメが住んでいる。そして、去年からこの時期に、駅ホームの壁と屋根の小さな隙間で、鳩が卵を産むようになった。人には見えない壁の向うから、先週、ピーピーとかすかなヒナの声が聞こえた。
 朝その声を聞き、「へー、今年も来たんだ」 くらいに思っていた日、店を開けようと外へ出ると、上の方からコンコンと音がする。見上げると、一羽のカラスが鳩の巣のあるところの壁をくちばしでノックしていた。 「コンコンコン コンコン」と一定の間隔をあけて、何度も
 「おかあさんだよ 開けておくれ」
 と狼が、親の留守に七匹の子ヤギの住む家を訪れるようにノックを続ける。 七匹の子ヤギの童話では、母親から、「知らない人が来ても決してドアを開けてはいけないよ」 と言われた小ヤギが、「おかあさんだよ」 と言う狼に、
 「おかあさんなら 手を見せて」 と言い、手の先を見せた狼に、
 「おかあさんの手は白いんだ。おまえはおかあさんじゃない。」 とドアを開けない。
 黒いカラスがノックしている間、朝はピーピーエサを待っていたヒナ達はシーンと静かにして、一声もあげなかった。
 駅舎の屋根とボード壁の間をふさいでいる板の素材は何なのかわからない。カラスは執拗に何度でもくちばしを打ちつけていた。そのうち店の前を大きな車が通り、その音にカラスは飛び去った。
 その後もカラスはやって来ては板を叩き、とうとう鳩だけが通れる隙間だったところが、人にも見える穴になった。カラスはそこから入っていった。
 巣の中はシーンとしている。鳩の親は帰ってこない。
 どちらに加担するものでもないし、カラスにも、かわいい七つの子がある のかもしれない、と野口雨情「七つの子」を思い起こしながら店に入った。
 あれから数日たった。今朝、3階の窓を開けると、鳩が二羽、厳重警備という態でホームの屋根と巣の入口にとまっていた。壁の中からかすかにピーピーと声がする。カラスの通れる穴はあいたままだが、穴の先は更に深い迷宮になっているのか。 人には見えぬ興亡を、そっと盗み見ては想像をたくましくしている。
 二十歳を過ぎた小庭の飼い亀は、毎年夏に産卵している。甲羅に包まれた体は、卵ができると食欲が落ちる。今まで飛びつくように食べていた好物のホタルイカも、小さく切ってやらないとのどを通らぬようになった。メス一匹だけなので、生んだところで卵が孵ることはないが、夏の始まりを教える風物詩の一つになっている。
 天にも地にも、初夏が始まった。

5月のユーコさん勝手におしゃべり
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