『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

10月24日
 今年は日光year。夏以降三度もいろは坂を登り、まるで「青木書店におけるイタリア年」だ。目的地は中禅寺湖畔の旧イタリア大使別荘(現・イタリア大使館記念公園)と、湯の湖畔の温泉。9月に行った時、イタリア大使館でいつも流暢な解説を聞かせてくれるおじさまが、「次は10月20日においでなさい。八丁出島の最高の紅葉が見られますよ。」と言っていた。今年20日は月曜で大使館公園がお休みなので、21日に行った。早朝いろは坂を登り、車中で一眠りして、いつもの店で焼きたてパンを買う。車から折りたたみ自転車を出してコーヒーセットをぶら下げイタリア大使館公園まで自転車をこいで行き、お庭のベンチでコーヒーをわかす。今年は10月に入ってからの冷え込みで例年より2・3日早く紅葉のピークが来てしまって、とくだんのおじさまは言っていたけれど、色とりどりにもえている八丁出島は充分きれい。ここにいると、まわりには湖と山しか見えない。民家も騒音もなく、時を忘れる。
 それから戦場ヶ原を通って湯元まで車で登る。中禅寺湖あたりは、赤黄茶緑とさまざまな色だったのが、戦場ヶ原まで行くと、白樺の白とからまつの黄金色だけになっていく。紅葉は100メートルを2日で下るという。植物は次々に色を変え葉を落とし、からまつの黄金色が最後に紅葉する。
白樺の白い幹越しにからまつの居並ぶ遠景に、北原白秋の「落葉松」の詩がとぎれとぎれに浮かんでくる。
 からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き…
 からまつはさびしかりけり…
 浅間嶺にけぶり立つ見つ… 
口に出して言ってみるが、断片的で正確な順番がわからない。温泉につかりつつ、いろいろ順序をかえて言ってみて、また、からまつの林を過ぎて、宿題を抱えて東京へ帰る。
 白秋さんは軽井沢の夏のからまつ林を見てこの詩を書いたそうな。

10月17日
 「近頃毎晩 怖い夢を見るの」と言う人と、「寝る前に読む本が悪いんじゃない? また殺人事件とかオカルティなのばっかり読んでるんじゃないの」なんて会話をした。
 そして翌日、ふと思った。
 悪夢は英語だとnightmareだ。人は身の回りの大切なものや必要なものから次々と名前をつけた。気になるものには皆ひとつひとつ名前が付いている。日本語でも夢には「夢」と名前が付いている。夢の反対は現(うつつ)で、夢にも吉凶がある。しかし、吉無(いい夢)や凶夢(悪い夢)を一語で表す単語は私の知っている限りではないし、辞書にも載っていないようだ。
 夢やdreamという単語はそれだけで、良い意味も入っている。「夢みる乙女」の「夢」は「美しい夢」で悪夢にうなされる少女のことは指していない。英語民は、dreamという単語を持ちa good dream/a bad dreamという以外に悪い(怖い)方の夢にnightmareという名前も付けた。nightmareは夢自体のことも夢魔といわれる妖怪さんも含むようだ。辞書を見れば、nightmareの仲間にはincubusとかsuccubusというのもあり、これは睡眠者の上に乗って苦しめるという具体的な悪夢(夢魔)でincubusは男、succubusは女と性別まで持っている。
 ものや現象に名前をつけるという行為は面白い。日本語人にとって、ぶりとはまちは別のものだが、英語人にはyellowtailとyoung yellowtail。トロも赤味もツナもみんなtunaの身。逆に牛馬関係は、牡も雌も子供も大人もみーんな「牛」「馬」と呼ぶ日本語人に対して、英語人はそれぞれ個別の名前をつけた。
 とすると、日本語人にとって「夢」の地位はそれ程高くなかったのだろうか。夢枕に立つ人のことばの吉凶に左右されるお話は昔から数多くあるように思うのに、ちょっと不思議な気がする。こんな時、逆引き古語辞典があればいいのになと思う。古語辞典を引くと、古語の現代語訳が出ているが、現代語に対して昔はどう言ったのかわかる辞書があれば、もしかして今はなくても、昔は「悪しき夢」に名前があったかもという疑問が解けるのに。

10月11日
 「忙しくて ちょっとまいっている」という人がいた。
 「苦あれば楽あり」となぐさめてあげようと思って、歌った。
「じぃんせい らくありゃ…」あれ? 今、楽じゃないんだからまちがいだ、と思って歌いなおす。
 「じぃんせい 苦がありゃ… 苦もあるサ…」って、何か変。なぐさめにならなかった。
 「苦あれば楽あり。今の経験がきっとあなたを大きくするよ」とことばで言えばよかった。

10月9日
 すっかり秋も定着した。足しげく花屋に通い、秋から春の花壇の支度をする。苗や球根を植え込んで、水道栓も変えてみた。どこに何を埋めるか、自分で考えて土を盛った。自分で自分の仕業はわかっている。それでも、次の朝ドアを開けて外へ出ると、ビオラのかわいらしさにびっくりする。少し花を変えるだけで景色がかわり、ちょっとした感動が味わえる。ちょうど普段座り位置の決まっている家庭の食卓で、他の人の席に座ったときのようだ。勝手知ったる自分の家なのに、対面に座りかえるだけで目の前の家具や照明がかわり、新鮮に見える。
 というわけで、朝プランターたちに一つ一つ「おはよう」と声をかけた。そして気付いた。花に声をかけるのは久しぶりだ。夏の花は大人っぽい。肉厚で豊かだ。咲き誇る花たちに心の中で話しながら、もくもくと水を上げていた。冬をすごし春に咲くパンジーやビオラは、風に揺れる薄い花びらを持つ。日々の作業は夏と変わらないけれど、なぜか小さい子どもに接するような気持ちになる。夏が過ぎ、「花が笑っている」という感覚を、半年振りに思い出す。

10月4日
 きんもくせいに彼岸花で10月が始まった。秋晴れが続きすごしやすい。先日「お刺身ツァー」と称して千葉の銚子港までドライブに出かけた。途中、車窓には一面のすすきが原が何度もあらわれた。すすきを見ていると、そばに「これは誰かが植えたの」という子供の声が聞こえた。ちょっと驚きつつ誰が植えたのでもなく、自分の身近にもすすきがあった頃を思い出した。すすきは、十五夜の頃花屋さんやお茶屋さんの店頭にも並ぶけれど、誰かがつくったり、苦心したりしたものではないものが実は一番美しかったりする。きれいに整備されたおひろめ用のコスモス畑もすてきだけれど、休耕田に「殺風景だからコスモスの種でも蒔いとけ」というというかんじで、雑草と共にポッポッと咲きゆれているコスモスたちも美しい。
 というわけで、神のものなる手にはとてもかなわない。けれど、秋風が吹くと、春を待つ習性がうずき、花屋でパンジーとビオラの苗と、チューリップの球根を買って、土に春の素をうめこんだ。

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