『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

11月29日
 インターネットで営業している古物商に関する法律が変わって手続きが必要になり、先日地元の警察署へ行ってきた。古本屋の手続関係は防犯課の管轄となる。係りの方の手が空くまでイスに座って待っていると、様々な声が聞こえてくる。「防犯」なので、犯罪を未然に防ぐべく相談事がいろいろと電話でもちかけられるらしい。目の前の長い電話を聞くともなしに聞いている。さんざ話して最後の方に警察官の方が言う。
 「それは込み入った話ですねぇ。電話でパッパとすむようなことじゃないですよ。いろいろ書類も出してもらわないといけないし。もよりの署にね、行って、事情を話して書類も書いてもらわないとね。だいたいこんな難しい問題を電話で解決しようなんてムリですよ。」
 そう言って一瞬あり、「こんなことが電話ですむようなら…」と言って、その警官はことばをのんだ。
 不謹慎ながら、もう期待で耳はダンボ。だって一般的には次のセリフは、
 「こんなことが電話ですむようなら、ケーサツはいらないよ」
でしょ。しかし、このセリフをこの場所の方々が言うはずも言えるはずもなく、電話は間もなく終わりました。
 全室喫煙・煙の館のような警察署で、長く退屈な事務手続をしている間が、自分の妄想で一瞬輝いたひとときでした。

11月22日
 思いつかなかったらカレー。
 おいしいものを食べることは好きだ。だから台所に立つのも嫌いじゃない、けど、時々、炊事がいやになることがある。愛用の料理本を何冊も開いたり閉じたりしてみても、メニューが浮かばない。そんなある日、「メニューが思いつかなかったらカレー」という言葉が浮かんだ。カレーなら間違いない。カレーなら小さな工夫がいろいろできる。肉の種類をかえるだけでもバリエーションがあるし、具にも手を入れることができる。それさえも気が重いときは、カレールーの箱の裏に書いてある通りのカレーでも、それはそれで良い。足したり引いたりしても、「うわ、何コレ」なものが出来上がらないのが何よりの利点だ。「思いつかなかったらカレー」の法則を適用した今夏からメニューで長く思い悩まずにすむようになった。カレーはうれしく万能だ。カレーでどうしようもなく失敗したのは、中学の調理実習のとき一度だけだ。いったいどうしてあんなものができてしまったのか、今でもわからない。見た目はカレーだったのに、口にしたらびっくりのまずさだったのだ。
 あの時、一番上出来だったのは、ドロリと長いスケバンスカートをはいた子たちの班だった。好きな同志5・6人で班を組んでカレーを作ったのだが、彼女たちは、こっそり市販のカレールーを持ち込んでいた。カレー粉で作るカレーなんて、まどろっこしくてやってらんない、と彼女たちは、先生の見ていぬ間にカレールーを投げ込み、余裕の時間でデザートの一品など作っていた。そうとは知らぬ先生は、出来上がって「先生もどうぞ」と差し出された皿のカレーを食し、「あら、いいわねぇ。とても上手じゃない」と明るく言った。
 一方、我が班の面々は、出来上がったはいいが食べられたものではないカレーを囲んで「どうしようか」と小声で話し合った。食べられないことでは一致したが、調理室で捨てるわけにはいかない。とりあえず控えめに人数分皿にもり、残りは、調理室の後ろの、今は使っていない古い調理具の入っている棚の中の大きなお釜の中へ投げ込み、ふたをして封印した。「今だからごめんなさい」話である。たっぷり作って、自分たちの分以外は職員室へ持っていったり、お気に入りの男子にあげたりしている他の班の人たちを横目で見ながらの隠密行動であった。(あの頃は、男子は技術、女子は家庭科と別授業を受けていた。)調理実習に味の採点がなかったのは幸いであった。「先生にはくれないの?」と聞く家庭科教師に、「ハイ、みんな食べちゃいました」と答えた。その後大学生の時、出身中学に教育実習に行った。家庭科教室のある校舎は建て替えられていて、ホッとした。教室の後ろのつくりつけの棚の下段の奥にカレーが眠っている、と思い出すたびに、後ろ暗い気持ちになったものだったから。
 あの時の家庭科教師は、中一のときの担任だった。かなりポッチャリした熟年の女の先生で、ひと目見て私は、彼女を「ブーブーブッコちゃん」と名付け、友達同士ではそのあだ名で呼んでいた。母親が初めてのPTA懇談会に行き、帰宅してその様子を話した。
 「先生が、とてもなごやかないいクラスですって言ってた。生徒が、私の名前が芙美子だからブッコちゃんとあだ名をつけてくれたって。長いこと教師をしているけど、生徒からあだ名で呼ばれるのは初めてで、うれしいって言ってたわ、かわいい呼び名で若返るって」 と。
 私は、まず先生がブッコちゃんと呼ばれていることを知っていることに驚いた。そして、そのなんと前向きな誤解にも。あだ名をつけたのは私だが、フミコだからブッコじゃないぞ。先生の耳に入ったときには「ブーブー」の部分がとれていたのは幸いだった。友達との会話の中では「ブーブー」のところは省略してたからな。と心の中で思った。
 それはそれきりのことで、卒業以来一度もブーブーブッコちゃんには会っていない。でもこうして、ふとカレーを食べる際に思い出してしまうんだから、私はきっとブーブーブッコちゃんが好きだったんだろうな。そんな親しみが、一見侮蔑のように思えるあだ名の中に隠れて見えて、ブッコちゃんはうれしかったのかもしれない、と、今思うのだ。こじつけかな。

11月15日
 こんなに多くの「もの」を残して死ぬ生物はいない。動物はたいてい自分の死骸と巣以外のものを残さない。それに比べて、人は、途方もない数のものをためこむ。生前きっと宝だったものが、直接残された人にとっては、そうでないこともある。
 リスが木の実をあとで食べようと思って土に埋めて忘れてしまう。するとそこから芽が出て木になるという話を聞いたことがある。本が、再び、誰かの宝となり芽を出し、新たな実を結ぶように、活かせるものは活かしてあげたい。

11月15日
 ここのところ急に寒くなった。11月もなかばとなり、いよいよ冬にむかっていくのかと実感される。落ち葉も日に日に増えてきて、葉の色や様子が気になる。というのも亀を飼っているからで、冬眠用のふとんとなる良質の落ち葉を、いつどこで集めるかが毎年晩秋の課題なのだ。今年はラジオから「銀杏葉には、抗菌防臭効果がある」というネタを仕込んだので、銀杏の黄葉のタイミングを狙っている。でも、ラジオのパーソナリティが抗菌防臭の話の後に、「それで、葉を本にはさんだりしている人がいるのですね」と続けたのは、古本屋的にはNG。そのまま忘れて古本屋にやってきた本は、銀杏の葉のはさんだ頁に銀杏葉型の変色がある。押し葉のはさみ忘れに注意しましょう。へそくりはOK、なんだけど、ここしばらくへそくりに出会わない。収入が銀行振込化して、本にへそくりする人はもういないのかもしれない。

11月7日
 文化の秋にとりどりのチラシを前にうれしく迷い、上野の都立美術館と国立博物館に行く。
 都庁が移転し、汐留だ六本木だとさわがれ、東京は西高東低、あるいは南高北低といわれているが、上野というのは得がたい街だと思う。複数の博物館・美術館が上野の森に点在している。自転車に乗ったり飼い犬を連れた地元の人々がいて、人が暮らす気配がするのが良い。国立博物館・芸大と続くとその先はすぐ住宅地が拡がる。古くからの街で、民家に混じって「ここにあるのがあたり前」という風情で、木造の茶菓子屋や画材店、手造り豆腐屋などがある。
 人の気配といえば、上野公園の中にもここをすみかとする人々がいて、季節には自分のテントの近くで銀杏を売っていたりする。動物園や子ども遊園地があり、老若男女の全てを見ることができる。美術館に行くために休日をとることはないので、朝のうちに美術館に行き、帰ってきて仕事をする。
 素敵な企画をする美術館は他にもたくさんあるけれど、たいてい美術館を出ると回りはオフィスビル・ショッピングビルの林立で、目的がなくては立ち寄る先もなく、美術館の為に出かけ、お茶を飲んで帰るということが多い。
 上野から堀切への帰路、昼食にお蕎麦を食べつつ、下町の料金と量のバランスに納得する。

11月2日
 人間を、マメな人と不精な人の二つに分けるとしたら、私は不精の方に入る。家事はあまり得意分野ではない。でも、気持ちよく生きていくために、日々自分に気合を入れている。それに今日気付いた。腰を上げるとき、無意識にテーマソングを歌っているのだ。
 洗濯のときは
♪センタッキー フライドチッキーン♪
 食器の片付けは
♪あらいもん、あらいもん、
ホンワカパッパ ホンワカパッパ あらいもん♪
 掃除のときは
♪ソージキじぃさん ポチ連れてぇ〜♪
だった。基本的に一人でやる作業なので他人に聞かせられないものでいいのだが、客観的に見ると、私は、明るい人、あるいは、ヘンな奴、だろうか。

11月1日
 カレンダーをめくって歩く。少し前から覚悟はしていたが、今朝めくると、2ヶ月1枚のカレンダーはさいごの1枚となる。カレンダーの中は冬景色で、自身に何もなくともしみじみとする。今年はどんな年だったかと自然に考えてしまう。
 カレンダーの絵や写真は冬だが、季節は秋で、文化の日を含むこの連休はどこもイベントの目白押しだ。店の机上の小さな植木鉢のはぜの木も、うっすら紅葉してきた。冬が来る前に、落葉を、文化を、芸術を、食欲を、たっぷり楽しもう。

2003年10月のユーコさん勝手におしゃべり
2003年9月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「ユーコさん勝手におしゃべり」

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