ユーコさん勝手におしゃべり

7月31日
 世の中変わっているのだった。ちょっと用があっていつも行く方向と別方向に自転車を走らせた。ずっと前からそこにあり、これからもずっとあると思っていたガソリンスタンドが更地になっていた。もう少し行くと、いつも楽しみにしているミシュランの看板が見える。ひさしの下に○○モータースと掲げてあり、その「モータース」の「ス」の字の上に、つばめの巣があるのだ。「モ」の字の上も「ー」の上部も平らなのに、「ス」の上に巣を作るなんて、といつか写真に撮りたいなと、通るたびに思っていた。店の人もとりはらわずに何年もスの上に巣はあった。のに、外装が一新されていて、真新しい白に塗りかわっていた。店名もタイヤセンターになっていて、「ス」はどこにもなし。いつか撮ろうなんて、思ってるだけじゃダメなんだな。変化がくるのは、明日かもしれないし、今日かもしれないんだから。ズボラな自分に、「喝!」。

7月28日
 やっと更新情報を出せました。ここ10日ほど苦手分野の画像処理とデータの確認に明け暮れました。明けない夜はないのですね。今年は180点の出品をさせていただきます。興味のある方は、自筆草稿・詩稿・書簡のページをご覧ください。右腕が痛い、けど走りきった満足感で空がきれい。

7月27日
 台風が過ぎ去った朝、空がきれい。早朝、小さな白い雲の間に水色の空がみえたと思ったら、10時にはもう雲ひとつ無い一面の青空。外に出ると、しじみ蝶がいくつも花の間を飛んでいる。台風一過の時の虫の動きが好き。飼っているうさぎが好物なので、折鶴蘭の新芽を摘んでいると、今季用のミニバラのつぼみを二つ発見。最初のつぼみを見つけたときのよろこびは、いつも新鮮。

7月22日
 プランターの時計草が2階の窓まで好き放題伸びて、小ジャングル化しつつあるので、先日脚立に乗って剪定作業をした。私の背中に後方を通るおばさま2人組の、「…手入れがたいへんなのよねぇ」という声が聞こえた。
 「あれぇ?」と思った。不思議な感じだった。「だって、これは仕事じゃないんだよ、趣味なんだから。」と自分の心の中で反論した。
 趣味って、手がかかったりたいへんだったりする程楽しいもんだ。人からは無駄と思われるところに時間や労力をつぎこんでこそ趣味は成り立つ。いろんな趣味を持つ人が店にやってくる。部品から手造りの鉄道模型をつくる人、切手のことなら何でも知りたい人、学者でも研究者でもないけれど興味の向くままに哲学書や宗教書を読破していく人。誰もひけらかすような話はしない。でもちらっと聞こえてくることばの印象がどれもキラキラ楽しそうだ。
 費用効率とか労働時間とか考えない。趣味ある人の特権だろう。
 庭木の剪定も、もし誰かにやらされているのなら、たいそうな作業だろうなと思う。
 何が義務でどこから自主か、どこまで仕事でどこから思いやりか、線引が難しい主婦という仕事の内包する静かな不満をかいま見たような気がした。

7月18日
 カーンと晴れて夏が来た。今日は朝から「これが夏休みだ」と叫んでいるような陽射しだった。ラジオで「梅雨が明けました」と言っている。
 暑中お見舞い申し上げます。よい夏をお過ごしください。

7月11日
 ふと気が向いて、菖蒲まつりが終って半月たった堀切菖蒲園へ行ってみる。ひと月前のにぎわいがうそのように園内には誰もいない。来年に向かってきれいに刈り込まれた菖蒲田に、引き込まれる水の音がするだけ。背の高い水かんなの花のてっぺんにとんぼがとまり、あめんぼがのんびり泳いでいた。柳の木蔭でしゃがみ込んでだんご虫をころがして遊ぶ。
 萩のトンネルが調子よくできていて、早くも秋が楽しみ。

7月5日
 梅雨らしい天候の続いた後の久々の晴天。買い物のため自転車で近所の住宅地を走ると、所々でくちなしの香りがする。さるすべりのピンクが華やか。初夏の庭は色とりどりで心躍る。
 先週、長野の諏訪湖へ行ってきた。帰り路、霧降高原から車山へ寄る。ニッコウキスゲがたくさん咲いていた。ロープウェーで車山に登り、徒歩で降りる。鹿の足跡を追いながら「アルプスの少女ハイジ」の主題歌を歌う。人里離れて草花と動物だけの世界にちょっとおじゃまするのも、すてき、そして、おもいっきり人里の、隣家とのすき間30センチのところに工夫して栽培される草花とお話しするのも、また一興。

7月2日
 毎日、たくさんのことばが自分の周りを通り過ぎてゆく。流れる川のはじっこにある石のように、音声だったり活字だったりいろんなことばを浴びている。たいていは流れすぎてゆくことばの中に、時々ザクッとひっかかり流れてゆかずに傍らにとどまることばがある。時々思い出してその意味を考える。今日も仕事中にふとそういったことばの一つが頭に浮かんできた。
 「地を這うような成績で―」
 塾に勤めていた頃、ある母親から聞いたことばだ。彼はいい子だった。確かに地を這うような成績だったが、それは怠けているというのではなく、文字を記憶する脳のどこかに不都合が生じているからのようだった。その彼に暗記しろ、追試で○○点とるまでは部活には出しません、という学校のやり方はどうしてもムリなような気がした。彼は英単語を覚えるのにも、アルファベットのひとつひとつを理解せず、まるで模様や記号を覚えるようにその絵づらを覚えなくてはならなかったから。それでも休まず通学しているいい奴の彼を、何とかほっといてくれる方法はないかと思ったものだった。一人一人の情況に合わせることは集団教育では「特別扱い」「エコヒイキ」とうつり、難しいことなんだろう。子どもがいっぱいいた頃おちこぼれたちはおちこぼれたまま、それでも社会に出ればそれぞれ自分の道を歩めた。
 彼はもう社会に出たろうか。今何してるかな。

 それから最近ひっかかったことばは、
 「小説家が資料に金を惜しむのかね」。
遠藤周作が山本健吉に言われたことばで、遠藤氏の随筆で出会った。ある時「大日本史料」の中の一冊だけが必要になって懇意の古本屋に頼んだら「一冊だけはお分けできません」と言われる。全冊で200万円するその本をどうすべきか考えあぐねて、山本氏に相談したときに氏が重々しい声で呟いたことばだそうだ。
 すぐ意を決して全冊買ってしまうのだが、その後村松剛に国会図書館に行けば必要な頁を複写してもらえるのに、と言われる。その上その数日後、山本健吉に
 「君も馬鹿だなあ、一冊のために200万円も出してあの全冊を買ったのか」と苦笑されるのであった。
 あゝ、今遠藤氏が生きておられれば、インターネットで全集の端本を手もなく見つけることができるのに。
 人は、たまたま生まれた時の流れの中で生きていくしかないのだ。
「長生きはするもんだ」ということばが浮かぶ一方、加速度的に変化変容していく時代の申し子たちを受け入れ続けなければいけないのかと考えると、便利の裏側についてくるストレスに少しうんざりもする。

7月1日
 夏の花壇ができました。
 梅雨らしい天気が続き、今日も雨上がりかと思って外に出たら、土をいじっているうちにポツポツ降りだしたり。
 でも、できあがった花壇を眺めれば見えてくるのは、一ヵ月後の
「サフィニアの赤 空の青!」
 現実はまだ、どんより雨雲の下の苗たち、だけれどもね。

2005年6月のユーコさん勝手におしゃべり
2005年5月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の
「おしゃべり」