『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次


1月23日
 本は重くて、その上きのこのように増殖する(そうとしか思えない)。店といわず書庫といわず足元から天井までを埋め尽くし、ちょっと空間があるなと思っても、次にそこを見た時には必ず本で埋まっている。本自体には足も意志もないので、毎日それらのお守をし、必要に応じて移動させている。おかげで若き日には「手のモデルに」と声をかけられたこともあった手が、すっかり筋張ってしまった。以前、ある中学生男子に「男らしい手、うらやましい」と言われた時は、その口調に悪気がなかっただけにショックだった。まあ、どうせ若さは衰えるためにあるものだから、これは仕方ないとしよう。
 古本屋で仕事をしていることは、おおむね楽しい。毎日目の前を通ってゆく本を通して、様々な方とふれ合えることもうれしい。現在の業務の中で唯一つ気の重いことは、督促状書きだ。日数を数えて、そろそろ言った方がいいかなと思っても、「明日振り込もうと思ってるかもしれないな」とか「今まさにATMに並んでるところかも」「急な事故があったのかも」といろいろ考えて、つい一日伸ばしにしたくなる。さあ勉強しようと思っているところに「勉強しなさい」と言われると「今、やろうと思ってたのにぃ」と急にやる気がなくなってしまい、言った相手に不快感を持つという状況が心に浮かんでしまう。かと思うと、すっかり忙しくて忘れていた場合なら、「早目に一声かけてくれれば『あ、そうそう』と思い出し、すぐ払うのに、こんなに時がたって読んだことも忘れた頃に言われてもな、」なんて人もいるかも、とも考えて、タイミングに迷う。幸い今まで、郵便事故や振替事故というのは一件もないが、絶対無いとは限らないので、お客様に催促をした後は、数日必ずメールが来るたびドキドキする。自分が小心者であるということを、再確認する。

1月16日
 「入れ食い」ということばがある。今日本を読んでいて「入れ食い」ということばを目にして、つい笑ってしまった。釣りをしない私は、ある時まで「入れ食い」ということばを知らなかった。いや、自分では知っているつもりでいた。魚釣りに由来したことばであることはわかっていて、私のイメージでは、こうだった。「魚のたくさんいる湖か川。小さいエサをつけて釣竿を入れると小さい魚がくいつく。その小さい魚をエサと思って中くらいの魚がくいつく。そして、それより大きめの魚がさらに…と続いて、重くなった竿を上げると入れ子状態で釣れている。ああ、ちょっとのあいだにザックザク、こりゃ入れ食いだ。」
 どう考えてもありえないことで、今では自分のバカさ加減に笑ってしまうが、実際そう思っていた。そして変な言葉だな、とも思ってはいた。それがある日、たまたまテレビをつけたら釣り情報番組をやっていたのだ。釣り日和だったらしく、船の上でニコニコ顔の釣り人が魚のかかった竿を上げていた。「アッ」。誰に教えられたわけでも、そばに誰がいたわけでもなかったが、その時私はピンときた。「これが入れ食いだ。私、今までまちがってた。」 気付いた瞬間から、おかしくておかしくて一人で顔を真っ赤にして笑いころげた。使ったことのないことばだったので、どこで恥をかいたわけでもないが、それまでの自分がたいそう恥ずかしかった。時ならぬ私の笑い声に隣の部屋からやってきた家人が「どうしたんだ」と聞くので、笑いながら「これこれこうで…」と説明すると、「ばっかじゃないのか」で片付けられたが、それからずっとちょっとしたことばの間違えや勘違いの度、このことが引き合いに出されて笑われている。あれから随分時がたつけど、きっと今でも、私の辞書に間違いはあるんだろうな。見聞きした事はあるけど使ったことのないことばの中の隠れたへんてこを、覗くことができたらちょっと怖いけど覗いてみたい。しかしそのための何よりの弊害は、それがへんてこだと自分で気付いていないことなんだなぁ。

1月10日
 各国通貨からユーロへの切り替えが始まって、ヨーロッパのお店屋さんはたいへんそうだ。新聞の写真を見ていて、何年か前の旅行のことを思い出した。母も一緒に行ったのだが、彼女は敵性言語ということで教育の場からアルファベットが締め出されていた少女時代をすごし、「姉も妹もローマ字くらいは学校で習ったのに、損したわ」とよくこぼす。そんなことで外国語はまるで話せないのだが、彼女が街では一番フレンドリーに接せられていた。道ゆく人が笑顔で挨拶してくれる。「なんでだろう」と思ったら、私が「今日は○○へ行こうね」とか「○○で地下鉄に乗り換えだからね」と話す時、彼女は「はい」とあいづちをうつことに気付いた。私なら「うん」とか「ううん」と言うところだが、昔の人なので返事は「はい」だ。小さくて笑顔の(目が細いのでそうみえる)おばあちゃんが「ハイ」というので、すれ違う人も彼女に「ハーイ」という。周りの人は日本語はわからないので、我々の会話のうち「ハイ」だけが耳に入るらしい。それに気付いた時はおかしかったが、おかげで愉快な気持ちで暮らすことができた。イギリスで10日ほどを過ごし、次はオランダへ行くところだったが、母は「もう充分楽しんだから帰るわ」という。庶民的安宿の旅だったので、バスタブは使用不能で、シャワーもぬるくてチョロチョロだった。日本の湯舟が懐かしくなったらしい。一人で帰国する母を空港まで送って、「紙幣は両替できるけど、コインはだめだから、なるべく空港の免税店で使っちゃいなね。」と言った。そして後日、母に残金を聞いたら「0」と言う。「ちょうど使い切ったの?」と驚くと、量り売りのチョコレート屋さんへ行って、残りのコインを全部出して、「これだけ分、ちょうだい」って言ったそうだ。ああなんと母の知恵!
 現金と度胸と笑顔があれば、言葉がなくても旅はさいごまで愉快なんだな。

1月7日
 昨日、江戸東京たてもの園に行った。周りにも園内にも大きな木がたくさんあって、心和んだ1日だった。そして、農家の庭先の2本の白梅がつぼみを膨らませている中に、ちらほらと、花びらをほころばせているのを発見した。春のさきがけにうれしくなった。ずいぶん歩いたのに、不思議と腰が痛くならなかった。いつもは長く立っていたり歩きまわったりすると腰痛があって、楽しみな大型書店めぐりも腰痛との闘いなのに、昨日はへっちゃらだった。たぶん、土の道のおかげだろうと思う。一日靴をはいて、舗装道路に固い床というのは身体に負担が多いのだろう。たてもの園のぬかるんだ路地にも、「ああ、子供の頃はこんなだったな」と懐かしさを感じた。気がつくと、今はどこもかしこも舗装されているのだった。たてもの園は東京の西にあり、青木書店は東京の東端なので、ちょうど東京横断の旅となった。朝は寒かったが、よく晴れたいい一日だった。
 寒いといえば、旭川のお客様からのメールに曰く、「旭川の幕開けは、とても穏やかなお正月でした。ただし、氷点下16度ですが・・・。」
氷点下16度、ですか。冬、なんですね。日本は縦に長く、同じ「寒い」という言葉ではくくりきれない寒さがあるんですね。

1月3日
 見ているようで見ていない。目を開けていると、見ているような気分になるものだ。 暮れに自宅トイレのタオル架けの位置を変えた。用を足して手を洗ったあと、以前は右側にタオルがあったが、今は左側だ。それだけのことなのに、そしてトイレの中で私は目を開けているはずなのに、つい手を洗ったあと右を向いてしまう。この年末年始、私は何回トイレの中でひとりクルクルまわったことだろう。日常のいつもの動きなんてそんなものなのだろうな。パソコンに向かって年月日を打とうとするとだいたい2001年と打っている。考える前に手が仕事をしてしまっているのだ。
トイレのタオルは左側で、今年は2002年、1回インプットしただけでは、以前の記憶がなかなか消えない。ここら辺がロボットとちがって便利で不便なところですね。

2001年12月のユーコさん勝手におしゃべり
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