ユーコさん勝手におしゃべり

2月28日
 カレンダーを一枚破って、新しい月が来る。
 今朝、明日からの新しい月のためにカレンダーをめくった。
今日は雨、今冬を洗い流すように、朝から降り続いている。
 ご近所のいつも通る道にある沈丁花の木に、最初の花を見つけた。数輪の純白が、赤いつぼみの中にひらいている。「ああ」と声が出そうだった。
 雨で香りは飛んでいないが、初々しい最初の花だ。
 樹木はカレンダーを見るわけでもないのに律義なものだ。
 2月の最終日、来るべき春3月を、沈丁花が祝っていた。

2月25日
 短いけれど変化の激しい2月がゆく。
今朝、自分用の小さなおひな様を出して、食卓においた。おひな様の横には、菜の花の小枝をコップにさして添える。
 昨日、久しぶりの休日を南房総で過ごした。海辺や小川の土手に蛍光黄色の菜の花が映える。河津桜のピンクとともに、そこら中に「春だ春だ」とふれまわっているように見えた。
 花摘みのできる農園で一束花を買ったらおまけに菜の花をつけてくれた。食用にも購入し、口でも目でも楽しんだ。
 口の楽しみは蒸しアワビ。生の時はあんなにかたくななアワビが、蒸されるとほわりとほどけてしまう。まるで「恍惚あわび」だ。
 あれこれ地の魚介をいただき、温泉につかって、一ヶ月ぶりにパソコンに向かわない一日をおくって帰宅した。
 そして今日、春一番が吹いた。一晩でつもった雪に驚かされた今冬も終盤に向かっている。夜、インターネットで、夏に向けて花苗を注文した。
 冬がおわれば春で、春がゆけば夏だ。
 思わく通り、今年も季節がやってきてくれることをよろこぶ。
 花とともにやってきた杉花粉にくしゃみをしつつ…。

2月15日
 雪が降った。
 東京に降る雪の風情ではない。暗い夜に地面を白くして、ザカザカ降った。
 夕べ、夜10時過ぎ、3階の窓を開けて驚いた。誰も歩いていない。忠臣蔵映画の画面が頭に浮かんだ。思わず階段を駆け下り、家人に、
 「すごいよ。忠臣蔵の討ち入りの人以外誰も歩いていないよ。すごい雪だよ。」 と言った。
 家人も2階の窓を開け、「ほんとだ、誰もいない…」 としばらく外を見ていた。少したって眼下にコートのフードをかぶってひとり、携帯電話で話しながら通る人がいた。ひそひそ声で、「隠密だね」「討ち入りの偵察のひとだよ」 と話した。
 駅から近い商店街に住んでいるので、近所のスーパーは夜11時まで営業しているし、となりの飲食店は日付が変わるまで灯りが付いている。普段ならこの時間は人の出入りがあり、酔客が歌をうたったり、ケンカしたりしている声がするころだ。
 雪はすべてを静かにする。
 しばらくして、スーパーの営業が終わり、アルバイト学生数人の声がした。うちの斜め前は、そのスーパーの従業員用自転車置き場になっている。
 「雪、入れちゃおうぜ」 とか言いながら、まだ来ていない仲間の自転車の前かごに、そこらへんの雪を手ですくって詰め込んでいた。
 急な雪で、自転車で帰るだけでも難儀なのに、このイタズラは忘れられないだろうな。
 窓をそっと開けて、雪で子どもにかえった若者の姿を見せてもらった。
 たまには、天気予報大はずれの急な雪も、いい。

2月14日
 今日、ここ東京東部にはあらゆる天気がやってきた。
 朝、曇り空の中、自転車に乗って買い物に出たら雪が降ってきた。カバンにあたるとパンパンパンとはじける音がするので、雪よりあられに近いかもしれない。それが、少し走っているうちに空がパアッと明るくなり晴れ上がる。日ざしはまさしく春であたたかい。気温も急に上がった気がしたが、相変わらず雪は落ち、天気雪となった。不思議に温暖な雪の中買い物を済ませ、帰宅するころには曇天となる。すれ違う人と、「寒いですねぇ」とあいさつする、いつもの2月に戻った。
 そして午後4時、郵便局に出向き、本の発送作業を終え店に戻ると、雨になった。今日はもうやみそうにない勢いで降っている。
 いろいろなお宅の庭で紅梅が美しく咲いているが、かの花も、この天候には翻弄されているのだろう。

2月11日
 本を売って商売している。所望の本を必要な誰かに提供し続けている。新刊屋さんと違うのは、同じ本を複数回扱ったことはあるが、そんなことはそう多くないというところだ。たいてい在庫は一冊で、一期一会だ。
 一冊の本に関して言えばそうなるが、歴史上のひとつの事柄について、あるいはひとりの人についての本はごまんと出ている。そしてそのひとつひとつが皆必要だ。景色は対岸から見れば違うし、Aに対しては強者だったものが、Bに対しては弱者だったり、世の中はいつも割り切れない。
 世間を単純化しよう、うまいこと言い切ろうとする動きに警戒感がある。一方を向いてキャンペーンのように同じ意見を繰り返すマスコミや、「一冊で全てわかる」と銘打つ本である。一冊で説明がつくことは危ない、と思う。
 教科書には、ものごとの大きな流れと、その中心に立つ事実の柱だけが見栄えよく磨きあげられてたっている。そこから削り落とされた細部を集めて粘土細工をしても、本質には至らないけれど、案外大事な部分はそこにあるかもしれない。野菜くずを集めたスープが、人体に必要な微量ミネラルを、薬効をうたうビタミン剤より多く含んでいたりするように。
 時の塵に埋もれていたそうした本や資料を、必要とする人に渡す。微細なものにも、捜している人がいるということがうれしい。
 今外は雪が降っている。ひとつぶひとつぶ違う雪が、ひとつひとつ違う場所に落ちている。

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