ユーコさん勝手におしゃべり

5月30日
 あじさいがさまざまに色づく頃になった。
 春の花、初夏の花が混ざり合い、花壇は色であふれている。
 先日、雑誌銀花のバックナンバーの仕事をした。雑誌類は、詳細欄には書かれないような小さな記事や広告が面白い。こればかりは、実際手に取った人だけのお楽しみだ。今回私の個人的な収穫は、好きなお菓子「シベリア」の由来が書かれたコラムを見つけたことだ。
 1985年の62号に「三角形でカステラの中に羊羹のはさまったシベリアケーキ」というのがあった。「日露戦争後、間の羊羹をロシアに上下のカステラを日本に見立てて『挟み撃ち』にしたもの。…日露戦争の戦勝気分に沸いて、当時ハイカラだったカステラと組み合わせて全国的に売られた」と説明がある。「はぁはぁ なるほど」だ。口の中にシベリアのやさしい甘さがよみがえる。
 何故羊羹とカステラなのか。白はいいもの黒は悪ものという色のイメージ、戦争と人間・文化、残る流行と消え去るはやりもの。ここにシベリアと牛乳とシベリア好きの人がいれば、このコラムをネタに1時間でも2時間でも話ができそうだ。どなたかおいしいシベリアを持って、いっらっしゃい。

5月21日
 今朝、店に貼ってあった「澁澤龍彦幻想美術館」のポスターをはがした。会期が昨日で終了したからだ。終了の数日前の雨の日、私も北浦和の埼玉県立近代美術館へと出かけた。「これは一応見ておかねば」というくらいの軽い気持で足を運んだのだが、一人の芸術家が長い時間をかけて集積したものが、一気に集結しているので密度が濃く、歩いた面積の何倍も疲れた。
 数日たっても、関わりのあった人々の生き方や死に方が入れ替わり思い出される。心のどこかに重さが残り、ジクジク痛い。たいへん良い展示だった。
 今日は朝から良い天気だったので、ポスターをはがした後、気分転換にと近所の堀切菖蒲園へ散歩に出かけた。菖蒲はちらほらと咲きはじめていた。葉桜の作り出す木蔭が涼しげで良いなぁと思ってそばに行ったら、桜木の下のベンチに水彩道具をのせて、絵をかいている人がいた。わずか数メートルの桜の木々の連なりが、切り取られた絵の中でははるかに続くように感じられる。自分がいいと思ったものを、同じようにいいと思う人がいると、なんだかうれしい。
 帰って仕事をしよう。本を、必要としている人の手許に届けようという意欲がまたわいてくる。

5月11日
 季節をうつろう旅をした。日本には季節の変わり目がたくさんあるからいい。盛夏と真冬以外は、いつでも季節の変わり目だ。
 今回のメインは足利の藤と奥日光の新緑。ゴールデンウィーク明けの晴天の朝、出発。内陸部はもう夏の日差しで、気温も30度となった。足利で有名な藤の満開を見て、群馬四万温泉で一泊。四万は染井吉野が終わり八重桜が満開だった。翌朝、奥日光へ進路を向け、金精峠をゆく。山に入るにつれて木々には葉がなくなり、けやきも白樺もまだ丸裸。道の両端には雪が残り、ゴールデンウィークで営業を終えたスキー場の無人のゲレンデにもただ雪が積もっていた。湯の湖が近くなり道が下ってゆくと、ほやほやと新緑が見えはじめる。ういういしい緑が光る湯の湖畔にはアカヤシオがピンクの花びらをひろげている。さらに道を下り中禅寺湖では桜が満開。いつも行く定食屋さんの奥さんが、「数日前に咲き始めて、今が一番きれい」とうれしいことを言う。
 急に雲行きが怪しくなったのに背中を押されて、いろは坂を下り下界へ戻った。2日間で季節半年分満喫のおいしい旅だった。
 旅から帰ると、店の庭で時計草のさいしょの一つが咲いていた。
 律義にやって来た初夏に感謝。

5月8日
 朝、お使いに出る時、ほうきを持ったご婦人を見かけた。自然な白髪をうしろに結んで自宅の門前を掃いていた。木の門の足元には綿毛のついたたんぽぽが幾株かある。ご婦人は小さなゴミも掃いてちりとりに入れるが、たんぽぽは抜かなかった。その光景に、昭和天皇が「雑草という草はない」と言ったという逸話を思い出した。お宅のブロック塀には蔦がからまり、玄関までのお庭には植木がある。自宅の門の入口に生えたたんぽぽは、ふつうなら抜かれてしまうのだろうが、黄色いかわいい花が咲いたあとも、そこでは大切にされていた。ご婦人は綿毛になったたんぽぽをよけて掃いているけれど、ほうきの動きで起きた風で少しずつ綿毛が舞う。
 ご婦人のまわりにはわずかな白い綿毛が、陽を浴びてキラキラと光っていた。

4月のユーコさん勝手におしゃべり
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